こんばんは。
B9、そしてチームのロケットマン、キムからバトンをいただきました、3年の藤田です。
冒頭からカタカナ多くてすいません。
彼は、最近タイ語の音楽にはまっているそうです。
インスタのBGM?にあると喜んでいて、彼の最近のストーリーではほぼ毎回使われています。
自分は幼い頃にタイに住んでおり、週1でタイ語を習っていましたが、
もうタイ語は忘れてしまい、挨拶の言葉である「サワディーカップ」と「サワディーカー」どっちを男性が使うかも曖昧です。
まず、音が正しいのかもわかりません。
おそらくキムの方がタイ語に詳しいでしょうね(笑)
さて、ブログを書いている今、20ページ近くの手書きの試験対策ノート制作による指の痛みと戦っています。
なので、小さい頃から特に個性的だと言われてきた自分のノートの歴史について振り返ってみます。
・小学生の頃のノート〜カラフル〜
1. 1マス1文字に収めること
2. 納得できる字が書けるまで消しゴムで消し続けること。
消しすぎでノートが破れるのは日常茶飯事でした。
3. 使える色は全部使う。
特に、水色、黄緑色は愛用していました。
隣の席の幼馴染や友達に色ペンを借りて完成させていました。
「カラフルなノートは至高、超かっこいい」の時代でした。
そのため、クラスの女子よりもノートはカラフルで、光り輝いていました。
めちゃめちゃ見にくいノートでした。
・中学生の頃のノート〜縦線〜
1. 縦線を引いて、ノートを区切ること。
学校の先生の影響で1ページを分割することに楽しさを覚えました。
2. 色は4色に抑えること。
ただ、赤青などみんなが使っていそうな色を使うのは嫌で、マイナーな色を使うことにこだわりがありました。
水色、オレンジなどです。
3. 字はなるべく小さく、省エネに。
この影響で、今でも字が小さいのは改善されていません。今日作ったノートも顕微鏡レベルに小さいです。
・高校生からのノート〜まとめる〜
1. 膨大な内容をコンパクトにまとめること。
テスト3週間前に1回、そしてもう一回1,2週間前まとめて、テストに臨んでいました。
3週間前の方のノートは友達にあげていました。
2. 色はなるべく減らすこと。
ここに来てようやく一般的なノートになりました。小学生からの成長です。
赤、赤線でアンダーライン、黒線、黒でアンダーラインの4つで重要度を分けています。
以上、自分のくだらないノートの歴史に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
この流派はなかなか珍しいと自負しています。
次は同じポジションの稲葉に回したいと思います。
彼のラグビーに対する貪欲な姿勢はいつも自分の刺激になっています。
また、彼とはいつもバスで隣同士に座り、物理的に窮屈な思いを感じさせています…、ごめんね(笑)
とても真面目で面白い彼なら、きっと素晴らしいブログを書いてくれるはずです!
よろしく!!
3年 #藤田修平
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